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作戦としての人道的支援 |
9月29日、アメリカや日本の一部新聞では「アメリカ軍がパキスタン・アフガニスタン難民に食料支援する。」という報道が流れた。これによって、アフガニスタン内部からタリバンへの風当たりを強くさせる、という意図があるようだ。
意図はこうである。「タリバンは私達に食料すら与えてくれずこの国を戦場にするつもりである。しかし、アメリカは少なくとも食料と避難場所を供給してくれる。」という事実をつくることによって、難民達をアメリカよりにする、というのだ。
こうした、衝突によって行き場をなくした難民達を当たり前のように人道的に支援することによって、アフガニスタンならずともアメリカ国民、いや世界の人達を感嘆させ、その目線をうまくごまかすことができるだろう。アメリカは正義なのだ、アメリカは弱いものの味方なのだ、と。
しかし、戦争では多くの罪のない住民達が殺されるであろう。戦場とは常にそういうものであり、ゲリラ戦を行うにあたって民家を拠点にする可能性が強い。ようするに、誰が敵で誰が住民かわかったものではないのである。
付け加え、戦争の常套手段として住民を盾にする、というような方法がつかわれる。戦争に無関係の住民達が多くいる地域にミサイルでも打ち込もうものなら国際的非難を受けることは必至であるため、あえてゲリラがそういった密集地域にこもる場合があるのである。つまり、空爆をうまく避けようとするのだ。しかし、そういった場合でも空爆が行われる可能性は否めない。
今回のアメリカの支援はこうした、被害に被るであろう住民をうまくごまかすことができる。アメリカは人道的支援を多く行っているのだ。住民を殺そうとはおもってもいないのだ、と。
しかし、ある傭兵の話では、住民も時に武装して攻撃してくると言う。住民だと思って、子供だと思って近くに近寄ると打たれて死んでしまう、そうしたことも起こりうるので容赦なく殺す必要性があると。戦場ではなにがおこるかまったくわからない、そして極度の混乱状態がそれを後押しするのである。
罪のない住民が殺されない戦争はない。多くの場合、相手の武装兵力よりも多くの住民が殺される。しかし、それが報道されることは少ない。
戦争はきれい事では終わらない。戦争は、殺し合いなのである。いくらアメリカが人道的支援をしても、結局はきれい事ではないのである。戦争は戦争である。
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