自信があるの?ないの?
日本人はよく謙遜する民族だと言われることが多い。たとえば、なにか日本人に「できるか?」という質問を聞くと大抵の日本人は「まぁまぁ」もしくは「できない」と答えるだろう。私の友達にピアノを15年もやっている人がいるが彼女に「ピアノできるんでしょ?」と聞いても必ず彼女は「あんましできないよ〜。」や「弾けないよ〜」と答える。しかし実際弾かせてみるとプロ顔負けの腕前(私が思っているだけだが)だったりもする(笑)。他にも勉強やスポーツなどでも日本人は周りの目を気にするあまりか必ず「まぁまぁできるんじゃない?」や「あんましできないね」と答える傾向にあるとおもう。かく言う私も何かについて聞かれるとたとえ得意だと自分の中で思っていても「まぁまぁだけどうまいほうじゃないよ」などと自然に答えてしまう。これが日本文化といってしまえばその通りなのだが、実際この文化を知らない人間からとってみれば、嘘つき以外の何物でもないのかもしれない。
さて、アメリカ人は?というと全くの逆である。何を尋ねても何を聞いても、自分が自信を持っているとおもっているものすべてにたいして「できるよ」と胸を張って答える傾向にある。そしてたとえ全くできないレベルに属していても見栄かプライドか、「できる」と答えるアメリカ人も多いのである。たとえば、数学は得意かどうか私が尋ねた時、アメリカ人の友達は即答で「得意だよ」といっていた。しかしクラスで実際数学をやってみると彼は以外にも全くできなかったのである。その時初めてアメリカ人のそういう傾向に私は気付いたのだが、日本の文化とは違っていて興味深かったのを覚えている。他にもサッカーはできるのか?やギターは弾けるのか?などといった質問をすれば必ず「できるよ」と答える。たとえどんなにそれらが苦手でも彼らにとってみればできると思うことが大事であり、そして時にはそれを誇示することも大切なのかもしれない。
よく私が聞く質問に「日本語話せる?」という質問がある。この時、アメリカ人で少しでも日本語を知っている人なら「YES」と答えるだろう。しかし彼らにどんな言葉を知ってるの?と聞くと「コニチワ!」や「アリガト」だけしかしらない場合すらある。もし私がアメリカ人でその程度しか日本語を話せないのだとしたら、必ずNOと答えるだろうが、やはり根本的な考え方が違うのであろう。
もしかしたら、日本語の「日本語が話せる?」というニュアンスと「Do
you speak Japanese?」と英語で聞くことのニュアンスが違うのかもしれない。日本語のそれは、『日本語を流ちょうに話せますか?』という意味合いが強く、英語のそれは『日本語を少しでも話せますか?』というニュアンスが強いのかもしれない。もしそうなのだとするとそれは文化の違いではなく言語の違いでもあるのだとおもう。
しかし、そういった意味合いも含めてもアメリカ人はなにに対しても「できる!」と答える傾向にあるとおもう。たとえ自信がなくても、たとえ苦手でも「できる!」と答えられる彼らの文化がもしかしたら今の強いアメリカ合衆国を生んだのかもしれない。日本人のように何事に対しても「自信がない」や「できない」とおもうよりはマシなのかもしれないが、どちらも結局は嘘なような気がしておもしろかったりする。