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ノーカルチャーショック |
日本にいたとき、耳にたこができるほど聞かされ続けてきたカルチャーショックという言葉。それがいうにはアメリカに留学したらまず日本とは文化が違うからそれにとまどうというもの。たとえば、家に入ったら靴を脱がないとか、トイレのドアは開けっ放しにするとか。内面的なものだと、アメリカ人の性格や根本的考え方などもだ。
しかしである。正直いって私はカルチャーショックというものをしみじみ感じたことはない。確かにアメリカ合衆国にきてわからないこともたくさんあった。前述したようにトイレを使っていないときはトイレのドアを開けっ放しにしておくことやシャワーをつかうときにカーテンをつかって水が外に漏れないようにすることなどである。しかし、一度知ってしまえばとくにたいしたこともなく、すぐに対応できるので、カルチャーショックと呼ぶにはいささか小さい物であった。
カルチャーショックを感じない原因は明らかだとおもう。情報技術の発達である。私達は日本に住んでいながらアメリカという国がどういった国かを知ることが出来るようになった。あなたが読んでいるこの雑記ですら、アメリカ文化を知るための一つの手段であるとおもう。本屋に行けばアメリカ合衆国というタイトルの本が所狭しと置いてあり、テレビをつければ、アメリカ人が日本語でアメリカと日本の文化の違いを説明している。インターネットの発達もそれに拍車をかけているものとおもわれる。知りたい情報をいつでも取り出せる世の中。そんな世の中がいつのまにかカルチャーショックという言葉を死語とかえていくのかもしれない。
付け加えて正直、ロサンゼルスと東京が違う都市にみえないのもあるのかもしれない。ここ、ロサンゼルスの高層ビルの形も東京のそれと大差なく、歩いているアメリカ人も新宿でみたそれとほとんど変わらない。家々の形も類似しているといえばしていて、走ってる車の大半は日本製品だ。日本人街もあり、私はアメリカにいてどこか日本で生活しているかのような錯覚に陥ることさえある。日本にいようが、アメリカにいようが、あまり生活に変わりはないのである。
しかし、最近私はカルチャーショックを感じるようになってきた。いつ感じるのかと言えば、日本に帰ったときである。いわゆる逆カルチャーショック。ロサンゼルスのゆったりとした生活になれてしまった私には日本のめまぐるしい技術の変化についていけないのかもしれない。女子高生、携帯電話、ファッション・・。日本に帰るたびに、いろいろびっくりしてしまう・・。アメリカでのカルチャーショックを経験しなかったぶん、日本の逆カルチャーショックには少々参ってしまう最近である・・。
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