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冷めちゃうよ?それじゃ |
「いっただっきま〜す!」そう言うとすぐに料理に飛びつく私。食事は食べ始めるのも食べ終わるのも早いが私のモットー(?)なのである(笑)。もちろん場合によって違うが、やはり料理というのは作りたてが一番おいしく、時間がたてばたつほどその味は落ちる、というのが一般的であるとおもう。そのため、味がおいしい時に食べるのがベストだありそのためにがっつくことは致し方ない、それが一番ただしい食べ方なのである・・・と屁理屈を並べて書いてみるのだが、説得力はというと今ひとつである(笑)。ただ私は食べるのが早い礼儀作法もしらない野蛮人なのである(笑)。
日本の一つの礼儀作法として「いただきます」という言葉がある。この号令を初めとして日本人は食事を開始するのが作法であると私は思う。いきなりつまみ食いをすることや、他の人の料理がまだきていないのに食べ始めるといった行為は時に無礼とされる。
このたった一言で一斉に食べ始められるのだから、食事が運ばれるのがバラバラでもどうにか味的にはおいしい状態の時に食べられると思う。「いただきます」というだけで礼儀になるのだから、まぁ簡単なものであろう。
さて、ここアメリカは一般的にキリスト教徒の国だといわれている。国民のほとんどが何らかの形で神という存在を信じ、キリスト教を信じる人は実に84パーセントにも及ぶ(1995年調査)。そんなキリスト教とでもやはり信心深い人もいれば、そうでもない人もいる。日本人が仏教徒というのと近いものがある場合もある。
そんな敬虔なキリスト教徒の中に、食事前に祈りを捧げる人がいる。「天にまします我らが神よ 今日も食事を得られることを深く感謝します・・・」といった内容のことをすらすらすらすらと呟くように祈ってから食事をとるという方法だ。これが私達、留学生、もしくは無宗教の人達には難しい一瞬なのである。
友達の家族に食事に呼ばれ、一緒に夕食を食べるとき、食前に家族全員で祈りが始まる。私は別にキリスト教でもユダヤ教でもないのだから、一体どうしていいのかすらわからなくなる。一緒に神に祈りを捧げればいいのかもしれないが、神という存在すら信じていない私にはこれは逆に失礼にあたるかもしれない。反対に、家族全員が祈っているのに食事を食べ始めることももちろん無礼だろう。一体、どうしていいのかわからずにいつもオロオロしながら時だけが過ぎる。そうして祈りが終わった頃にやっと一安心して食事をとれるのだ。
敬虔なキリスト教徒というグループもやはりピンからキリまで存在する。いつもは祈りを捧げてから食事をとる人が、面倒で祈りを捧げないで食事を摂ってしまったり、「センキュー」と言うだけで食べてしまった人もいた。やはり食欲は誰にでもあるのであろう(笑)。逆にもっと敬虔な信者という人がいる。この場合、私は本気でどうしていいのかすらわらからなくなる。
一体、どういった信者なのかというと、食事の前に15分程度祈りを捧げてから食事を摂るのだ。普通の信者なら1分程度、しかし、この長さもこの文章も人によってまちまちなわけなのだからそういった15分も祈りを捧げる人もいたって可笑しくはない。初めてのこの手の人と食事をしたときには正直、もう二度とこの人とは食事をしたくないな・・ともおもった。「先に食べていいよ」とは言われるものの、そういうわけにはいかない瞬間、理解していただけるだろうか?15分間も延々と祈りを続ける。そしてなり続く私の腹の音(笑)。あったかいスープを前に15分間「おあずけ」。そして祈りが終わった頃には食事はもう完全に冷めてしまっていた。「いただきます」だけで食べ始められる日本が異様に恋しくなった一瞬であった(笑)。
そういった信者は本当に極わずか。遭遇した人すらあまりいないだろうが、実在するのは本当である。私が思うに本当に神に食事を感謝するのなら、食事が一番おいしい時に食べてあげるのが本当の感謝なんじゃないかな?と思う。まぁ、宗教に関してはいろいろなものがあるから、大きな声ではあまり言えないが、「矛盾」といったものは存在するのは確かなようだ。
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