気さくなアメリカ人?
アメリカ人はよく気さくで明るい人種だと言われる。誰にでも気軽に挨拶をし誰にでも心を開いて接する。そんなアメリカ人達をみて今日も日本の批評家達は「アメリカの教育を見習え!」「もっと心を開いて明るく人と接しなさい」などと口々に言う。しかし、本当にアメリカ人達は気さくで明るい人ばかりなのだろうか?
そもそも、アメリカ人は気さくだ、明るい人種だ、といっているのは専門家達である。専門家達はアメリカ人、特に白人や黒人といった人種、文化を研究し、そのように結論付けているためそういっているのである。しかしながら、アメリカを専門的に扱う人達の中で、英語を流ちょうに話せる人は以外にも(?)少ない。アメリカの文学を扱っていようが、アメリカの軍事を扱っていようが、他のなにを扱っていようが、本来英語を必要とする職業なはずであるのに英語を少しでも話すことすらできない、そんな専門家、特派員達は世の中にはごまんといるのである。彼らはあくまで通訳、翻訳家達の手によって通訳、翻訳された文章、もしくは言葉を参考にして批評しているにすぎないのだ。
たとえば日本で聞くアメリカ人スポーツ選手、またはミュージシャンのインタビューを想像してほしい。その時、彼らは同時通訳でこんな風に話してはいないだろうか?
「日本のみなさん、こんにちは。ジャックです。いやぁまた日本にきて本当に嬉しいよ。日本のみなさん、元気してた?今回、来日したのにはわけがあるんだよね。なんだとおもう?そうライブ!日本武道館で日本のファンの前ででっかいライブをやろうとおもってさ。どう?ワクワクするでしょ?僕もワクワクしてきた。絶対5月23日は日本武道館に僕に会いに来て欲しいな。それじゃまってるよ!」
「日本のみんな、元気してた?クリスティーナだよ!今回、来日したのは他でもない、日本のみなさんに私の新しい映画、「wind」のピーアールに来たんだ。この映画、私が今までとった映画の中で一番最高の出来。これをみなかったら、ファン失格だよ!是非、7月3日から公開されるこの映画を映画館まで見に来て下さい。よろしくね。」
レオナルド ディカプリオ、クリスティーナ アギレラ、ブリトニースピアーズのインタビューを聞いたことがあるがこんな感じであった。「私は日本がだ〜いすき。」といったイメージを全面的に押しだし、日本のファンを引きつけようとしているのだ。男性の場合は「なのさ。」という表現を多用。女性の場合は「なのよ。」という表現を多用することによって、明るく気さくなイメージを日本人の中に埋め込もうとしているのだ。そうして、ファンに好印象を与え、売り上げ等を伸ばしていこうという戦略であろう。
しかし、実際、彼らがそんなふうに英語を話しているのか?といえば疑問が残る。中にはこのように話す人も少しはいるが、私が英語を聞いた限り彼らの口調はそこまで興奮しておらず、言葉を淡々と吐き出しているに過ぎないのだ。「This
is Jack. I am really glad to see you
again.
The reason why I came here is・・・」といったようにきちんとした公式な英語を話しているのだ。(日本語に直訳すると「ジャックです。私はみなさんにまた敢えてとてもうれしくおもいます。今回、来日した理由は・・・」)。それを日本の通訳や広報担当があくまで好意的に聞こえるように脚色しているに過ぎないのである。
あくまで推測に過ぎないがこういったインタビューを聞いて英語の話せない専門家達はさも理解したようにアメリカ人を語るのではないだろうか?とおもう。なぜなら、彼らはいつも通訳や翻訳家達を仲介してアメリカを理解しているに過ぎないのであるから。実際、英語をきちんと話せる専門家達はそのように単純に「アメリカを見習え!」とは言わない。それと同時にアメリカ批判もするのである。
インタビューだけでなく、新聞等にも似たような記述のしかたで書かれていることが多い。そういったイメージ、つまりアメリカ人=好意的という構図がいつのまにか普通になってしまっているのだ。
実際、私がアメリカに暮らしてみて感じるには、確かにアメリカ人は好意的で気さくであるとおもうが、日本で思っていたアメリカ人の像と比較してみると、どうしてもそこまでは好意的にも、気さくにも見えないのである。日本にだって明るい人はいるし、心を開いて話してくれる人だっている。確かにアメリカ人のほうが好意的かもしれないが、英語の知らない専門家達が口々に声を揃えて悲観するほど日本人は暗くもないし、心を閉ざしているわけでもない。昔から繰り返される来日アメリカ人のインタビューの翻訳の仕方や新聞の翻訳の仕方が日本人の中にいつのまにか根付いてしまい、いつのまにかアメリカ人は好意的だ、ということが一人歩きしているのではないだろうか?とおもう。
今回に関しては根拠は話された英語と日本語通訳の違いしかないが、一つの考察として記憶に留めて置いて欲しいと思う。