|
|
|
ベジタリアンの定義 |
私の実家の近くには養豚所がある。そこには多くの豚が飼われていて大きくなり次第食肉として出荷されていく。殺され、そしてみるも無惨に切り裂かれていく豚達。そんな豚をみて心が痛くなったのを覚えている。「人間が生きていくためには食べなくてはいけない。そのために殺生も必要なんだ」といった小学校の先生の言葉が印象的だった。
しかし、世の中にはそのための殺生をしたくないとおもう人達がいる。ベジタリアンである。その中にもいろいろな種類の人がいるが、概して、自分たちが肉を食べる分だけ動物が死んでいくのなら肉を食べなければいいという概念をもった人達のことを指す。
ベジタリアンには私が思うに大きく分けて次の3つほどの種類の人達がいる。 1.動物の肉は食べないが魚なら食べる 2.年に数回だけ栄養補給のために肉を摂る 3.肉という肉は絶対に食べない
忘れていけないのが、人間というのは雑食である。よって、優れた栄養バランスのためには肉類に含まれるタンパク質は絶対不可欠な物なのである。もちろんベジタリアンの人達だってタンパク質を摂らなければ生きていけない。そのために彼らはビタミン剤等をとって補っているようだ。ベジタリアンになるのも大変だとつくづく思う事実である。
少なくともここカリフォルニアの多くの小学校では、学校で食肉センターを見学にいくらしい。その時、豚が殺されていく瞬間を私が経験したように子供達はみるというのだ。そうしてベジタリアンへと変わっていく子供達も実際多いという。私の友達も同じ様なことを言っていた。
日本では「私はベジタリアンです」というような人はあまり見かけたことはない。しかしアメリカという国ではびっくりするほどベジタリアンが存在する。たとえば、飛行機等にのっていると、機内食をベジタリアン専門につくってくれたり、ニューヨークにはベジタリアン専門のハンバーガーショップがあったり。私の学校の売店にもベジタリアンとかかれたコーナーもあるくらいである。正直言って、私はアメリカにくるまでこれほどまでにベジタリアンというものを考えたことはなかった。その分、ベジタリアンというものに興味がある現在である。
私個人の意見では、人間というのはなんにせよ殺生をしないと生きていけない罪深き生き物だとおもう。確かに子供のとき見た、あの食肉センターの豚は今でも脳裏に焼き付いている。しかし、そのような罪もきちんと責任をもって抱えて生きていかなければならないのではないだろうか?ダイエット等で、お腹がいっぱいだから食べ物を残す。そんな今の世の中ではあまりにもありふれた光景を真似するのではなく、きちんと食べてあげることによって罪を贖えるのではないだろうか?エゴ的な意見かもしれないが、ベジタリアンになって体調を崩して死んでしまうくらいならベジタリアンにはならないできちんと食べてあげることが大事なのではないだろうか?(もちろん批判等はあるとおもう)
こんなことを書いてしまったものの、私はベジタリアンの人達を尊敬している。よほどの慈悲の心がなければできないことだとおもうから。
蛇足だが、世の中にはただ肉が嫌いなだけなのに「私はベジタリアンだ」と言ってのける人がいる。少々、軽率なんじゃないのかな?とおもう私である。
|
|
|
|
|
|